最近,良く思うのは,
「絶対的な才能に圧倒されること」
って大切な経験だ,ということ.
圧倒的に敵わない相手に,圧倒されたり,
圧倒的なオーラを持つ相手に,驚愕したり,
そういうのって凄く大切なんじゃないかと.
そして,この,敗北感を通り越した絶望に近い感情は,
「生」でないとなかなか得ることが出来ないと思う.
インターネットが普及した今,
Steve Jobsのスピーチはインターネットで見れるし,
Facebook CEOの日常も垣間見れる.
でも,それが故に,自分の立ち位置が分からなくなっている人が多い気がするし,
私も時々分からなくなる.
「私にも出来るんじゃないか?」と思うのは自由だけれども,
それは時に自分を苦しめるし,
「Steve Jobsがこう言ったから,わたしもこうする」は,
あまりに滑稽過ぎる.
「生」の才能に触れていないから,この「立ち位置不明現象」が起るのではないか,
とわたしは思っている.
私が,今までの人生でラッキーだったと思うことは,
高校時代にとんでもない御曹司に一目惚れしたこと
高校時代に東大理学部の天才に勉強を教えてもらえたこと
オリンピック選手が在籍するスイミングチームでオリンピック選手と一緒に練習が出来たこと
だと思う.
とんでもない御曹司と,その周辺の人と知り合ったお陰で,この世の中には,どうすることも出来ない,
持って生まれた運があることを知った.
「働かなくても入って来るお金」の存在を通して,高校生の私は「不平等を受け入れること」を学んだ.
理学部の天才は,本当に天才だった.どんな問題を持って行っても(高校生なので東大の過去問とかそんなレベル)
どれもこれも一瞬で解いてしまうし,彼が勉強していないはずの生物を見せてもすぐに理解してしまっていた.
「どんなに勉強しても,この域には達せない」と思ったし,
「まいこはいつも楽しそうでいいなー.」と十円ハゲを気にしながら喋る彼を見て,
「頭の良さと幸せは相関しない」ということをなんとなーく感じた.
スイミングでは,オリンピック選手と一緒に週8回の練習をこなした.
私の在籍した選手コースは,メンバーの8割がインターハイ決勝進出以上の成績を持っていた.
練習をたいして頑張らなくてもインターハイで表彰台に登れる人もいたし,
私のようにそれなりに頑張っても,いつまでもしょぼスイマーな人もいた.
そんな環境下で,21歳まで泳いだことで,
「トップに行くには,才能+努力が必要なんだ」と分かった.
才能だけではダメなことは言うまでもないが,
努力だけではダメなのだ,ということを知った.
それを知ったことで,やっと21歳まで続けた水泳を諦めることが出来た.
世の中には,凄い人がいるんだと圧倒されること.
そして,諦める勇気を持つこと.
諦めた数ほど,本当に大切なものに近づけるのではないかと時々思う.
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圧倒されること
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